・Salzburg 祝祭劇場の思い出
2009.11.05(Thu)
 先月29日ブログは、「そういえばもう一昔に話になるが、ザルツブルクを訪ねたとき、祝祭大劇場の内部を見物したことがある。その時の様子や35歳の時のウィーンでの Staats Oper のことなど、気が向いたら次回ブログ以降に書き残してみたい。」 で閉めたが、「魔笛」 につながるこの話は後回しになっていた。このオペラの第2幕 (DVD2枚目) は10月末に聴いたのですぐに感想など書いておけば良かったのだが、そのころの私は 「畳」 に取り憑かれていたから・・・・・。

 「魔笛」 の感想より気になりだしたのは、2000年にザルツブルグの祝祭劇場全体の内部を見学した時に何枚か撮った写真のことだった。スライドボックスから探しだしたら、祝祭劇場内部とその回りの通りのなどで撮った写真は、たったの6枚。通常の整理の仕方からしてその1.5倍から2倍の枚数は撮っていることになるのだが、こういうことになると、味噌も糞も残しておくべきだったという気がしてくる。
 その6枚の内の5枚に日の目を見させて9年前の思い出にふけるという、このシツコサ!

《 劇場前の通り:ホーフシュタールガッセ 》


《 祝祭劇場大ホール。舞台幕(オペラカーテン)が豪華。
前の椅子の背にカメラを固定して何秒だったか? 》


《 同上。
岩肌を削って作られたホール「フェルゼンライトシューレ」の写真は一枚も残っていないというお粗末さ。
フェルゼンライトシューレでは、絵になっていない構図やフラッシュなしのブレ写真ばかりだった
記憶がある。 》


《 2階の廊下。一番奥に大きな鏡。》


《 上の写真の奥の鏡に小さく写っている小生夫婦を近づいて撮ったが、ブレブレだった。
これも記念になる。》


〔参加ランキング〕
にほんブログ村 シニア日記ブログへ

「参加ランキング」応援をお願いしましたところ、順位下げ止まりの様子が出てきました。ありがとうございます。 どうか引き続き応援して頂きますようお願いいたします。
・畳の状況変化
2009.11.01(Sun)
 先月29日に 「もう止まらない・・・・! 私のライフワークになりかかっている放棄された畳の写真付紹介!」 と書いたが、事態は急激に動いた。

 一枚目は、10月29日夕方の状況。いささかショックを受けたのが、畳が随分と少なくなったこと。夕方5時少し過ぎだが、夕日は雲の中にあって辺りはもう冬並みの暗さ。KodakP850 の内蔵フラッシュでは狙いの被写体全体を広角で撮る距離に退くとフラッシュが届かない。トーンカーブで暗部を持ち上げた結果こういう汚い画面になったが、状況判断はできる。

 辺りを見渡すとこの建設資材置き場(?)の一番奥に、数十枚が重ねられ何列かに並べられている。その状況を写真に収めるべきだったが、もう暗くて駄目!

 30日は栃木県の霧降高原に紅葉見物にでかけたから、31日にその件を持ち越した。31日朝8時過ぎ、畳の現場に出向いたら、既に重機が入って畳移動作業をやっているではないか。使っている機械はショベルカー。畳20枚程度をロープで吊り、ショベルにぶら下げて一番奥までぶらぶらさせながら運び、キチンと並べて着地させるのである。
 重機の音がうるさく声をかけて写真撮影許可を得る勇気 (作業を中止させることになる) もなかったので、腰の位置ででノー・モニターでショベルカーの動きを撮ったのが2枚目。望遠でのノー・モニターは不可能だから広角で撮りトリミングで大きくしたが、畳の枚数などやはり読み取れない。

 さて今日日曜日、120枚を超す畳があった場所がどれほどスッキリしたものになっているか写しておく必要があるからとP850をもって現場に向かったら、朝8時過ぎというのに今日もショベルカーやトラックが轟音を立てて動き回り、土やコンクリート瓦礫などの移動・運搬を行っているのだ。

 またも声をかけて撮影許可ををもらう勇気が出ず、120枚強畳の置き場がすっかり平坦な空き地になっていることを確認しただけで写真は撮らず、現場を去った。

 これで9月初めに始まった私の畳物語は終わりのようだが、実はここまでは第一幕だと思っている。第2幕は、この資材置き場一番奥に鎮座している120枚強の畳の今後の状況展開である。
 上から土を被せられ埋められててしまうのか、昔多くの場合そうであったようにバラバラにほぐされて肥料になるのか、あるいはまた別の場所に移されるのか・・・・・。 新たな畳が持ち込まれることだってあり得る。

 勿論、第2幕も覗く。それにしてもこういうことにうつつを抜かすことが出来る暇人の身分は、ありがたい。

《 手前の2本の木は、ロープを通すためこのように畳を横たえるのもの 》


《 ショベルカー 》


《 ショベルカーの左側の一番奥に、積まれた畳の列 》


〔参加ランキング〕
にほんブログ村 シニア日記ブログへ

 最近、私の参加ランキング順位の凋落が甚だしく、過去最低を更新中。参加している二つとも同じ。‘面白くないものに ONEクリック’ という制度があれば、そちらに鞍替えしたいのだが・・・・。 どうか応援して頂きますようお願いいたします。
・「魔笛」 
2009.10.29(Thu)
 このハリコ写真の DVD ‘Opera Collection’ シリーズはもう5巻ほど発売になっている。その3巻目がこれ。私は一向にオペラに興味が湧かないという偏った嗜好があり、演奏会でただ一曲聴いたことがあるオペラが「魔笛」。そして、テレビで何曲か垣間見た(聴いた)たオペラも含めて、この年になるまで‘その気になって’聴いたもこの曲だけ。

 一度だけの体験は、ウィーン国立歌劇場で。 それも35歳の時でそれ以降その数字と同じ年月が経っているが、あのときの感激の余韻はまだ残っているようで、この DVD を本屋で見つけたときは買うことに何のためらいもなかった。何十年の前のことだが、イングマール・ベルイマン監督による映画仕立ての 「魔笛」 の面白さに度肝を抜かれた感がしたことも思い出した。

 価格は、1990円。1982年のザルツブルク音楽祭・祝祭劇場/フェルゼンライトシューレのステージを収録。レヴァイン指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン国立歌劇場合唱団。ペーター・シュライアーのタミーノ、グルベローヴァの夜の女王、ワルター・ベリーの弁者・・・・・・、 この位しか見聞きした名前はないが。

 昨日、 「魔笛」 の第一幕だけを観た(聴いた)。 大好きな開幕直後の‘三人の侍女’の三重唱に気分は高揚してきたが、一幕で止めたのはテレビを置いている居間がかなり冷え冷えとしていて余りに寒かったから。残りはもう少し寒くない日に、或るいは大ぴらに暖房を入れる時期になったら、観ることにしよう。いや、きっとまた一幕目からになるだろう。

 そういえばもう一昔前の話になるが、ザルツブルクを訪ねたとき、祝祭大劇場の内部を見物した。その時の様子や35歳の時のウィーンでの Staats Oper のことなど、この機会にブログにでも書き残して置いたほうが良さそう。

注:「祝祭大劇場のステージの収録」としていたが、「祝祭劇場/フェルゼンライトシューレのステージ」に訂正(11月6日)。

《こんな装丁で売っています》


〔参加ランキング〕
にほんブログ村 シニア日記ブログへ
・また、増えた畳
2009.10.25(Sun)
 もう止まらない・・・・ 私のライフワークになりかかっている放棄された畳の写真付紹介!
 真ん中より下の3枚が直近22日の状況。17日のブログに登場した量 (16日現在) の3倍増である。概数だが、20枚 (9月29日ブログ) → 40枚 (10月17日ブログ) → 120枚 (今回) という急成長ぶり。置き場スペースは、手前と横に広がった。

 この日に初めて山積みの裏側に回ったみたら、半畳の畳には傷みがかなりヒドイものがあることに気がついた。さらに今回は、畳縁の色あせ度合いが目立つものが纏まって積み重ねられている。床も相当に傷んだものが目立つ。

 こうなると、私の家の畳と交換・・・・・などという浅ましい発想や、誰かが自宅用に持ち去るだろうからここの枚数は減るのでは、といった興味は無くなってきた。
 あとは、ここが大規模な畳放棄場所に拡大していき、Walking写真のネタになり続けてくれることを願っている。

《 9月7日撮影:約20枚 (再掲) 》


《 10月16日撮影:約40枚 》


《 10月22日撮影:約120枚 / 右側の手前と左の山全部が新規分 》


《 傷んだ、或いは古びた畳が多くなった 》


《半畳には、こんなものもある》


〔参加ランキング〕
にほんブログ村 シニア日記ブログへ
・パウル・クレーを鑑賞
2009.10.21(Wed)
 横須賀美術館の企画展 「パウル・クレー 東洋への夢」 を鑑賞。絵画展を覗くために千葉から都内まで出かけることはあり得ても、よもやこれほど遠くまで行くことがあるなどとは考えてもいなかった。車で館山道を走り浜金谷から横須賀までフェリーに乗り、片道3時間。電車 (JRとか京浜等) を使っても、そんなものだろう。
 何を見たかったかというと、「東洋への夢」 という部分。風邪気味で微熱が退かず朝寝昼寝という日が2日ほどあったが、ほとんど調子が戻った気分一新でカメラをかえて遠出をしたいという気持ちが出てきたことも、クレー詣での一因。

 展示会場の順路は、クレーの初期作品に多く見られる東洋の絵、特に浮世絵の影響が濃いという線描作品群から出発している。北斎漫画に触発されてクレーがそれらを模写している作品では、線の繊細さや鋭さは際だっており、また単なる模写ではなく、人物の動きは左右反転したり、北斎とは違った方向からの人体の動きを表すものもあり、クレーの造形の独自性が強く意識されているのを感じることが出来る。

 ところがこういう作品は1900年頃から1910年前までの比較的短い期間のものが殆どである。抽象表現が進むそれ以降の作品には、ストレートに東洋の芸術、なかんずく浮世絵の影響を読み取ることが出来るものが少なく、いつものことながら乏しい鑑識力に情けなさを覚えながら会場を巡ることとなった。

 偉大な画家として世の中に認められるようになった30歳代半ば以降の作品も多数展示されているが、この辺りになると、東洋の影響は中国の叙事詩への興味から生じたインスピレーションが文字絵へと絵画的な展開をしていくという類いの解説があるが、私には絵の中に所々に観られる具象(例えば人間の顔)がそのことを示すのかな、というくらいにしか理解できない。

 クレーという場合に私が持っている彼の絵画の作風の印象は、初期の作品にみられる具象的な描写が無くなって抽象表現が支配する30歳代半ば以降の絵画のものである。だから、そういう印象の範囲に入る絵で図録にも解説のないものに出会うと、東洋的なものがどこにどのように表現されているのか理解できず、焦るばかり。下にハリコした写真その一例である。
 こういう時は、‘東洋への夢’というタイトルを意識せずに、造形やリズムや色合いや、我流で感じるなにやらの意味合いを楽しむというクレーの絵を見るときのいつもの鑑賞の仕方になるのだ。

 例によって図録は、今のところナイトキャップ(水割りウィスキー)のお供だが、2,3ページを眺めるとその夜は用済みになっている。もうすぐ、本棚のどこかに紛れ込みそう!

《 展示会案内パンフ 》


《 絵を拡大:「女の館」 1921年 愛知県美術館蔵 》


〔参加ランキング〕
にほんブログ村 シニア日記ブログへ