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・丸くなりたいが・・・・・ 

2009年05月30日 17:54

 この春から気の進まない町内会関連の仕事をやらざるを得なくなっており、ストレス満帆の状態で毎日を送っている。そうしたことを4月半ば過ぎからの何回かのブログでボヤイテいるが、その状態は益々強くなってきている。

 一人で悩み肉体的疲労も覚えるということで済んでいるのならまだしも、関係する方々との接触や会議などにおいても私のイライラは表面に出てしまうという、大人げのなさ! 年の功などとは全く縁がない、トンガッタ日々を過ごしている。

 やりたいこと、言いたいことがなければ、回りに従順に従うのだが、私はそういうこととは縁が薄い性分だがら、‘角が立つお付き合い’ を続けているこの頃である。
 下の写真のように、丸く、円く、マルクなりたいのもだが・・・・・・

《 マルイ 》


《 円い 》


《 丸い 》


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・490円で ‘懐かしさ’ を買う

2009年05月26日 09:27

 旧聞に属するが、4月30日付けで 「朝日ジャーナル」 が週刊朝日緊急増刊という形をとって復刊された。売れ続けているのだろう、今でも近くの本屋さんでは新刊の他の週刊誌と同じラックに並べられている。

 「朝日ジャーナル」 は創刊が1959年3月(休刊は92年5月)だったそうで、この復刊版は 「創刊50年 怒りの復活」 というタイトルが付けられている。全部に目を通していないのでいい加減な評価になるが、拾い読みの段階では掲載されている論文、コラム、対談、座談会等の内容が特に目新しいということでもなさそう。

 この復刊は(今のところ)たった一冊だけで以降の展開が全く見えない。だから私流の悪態をつくと、メディアお得意の‘売らんがため’の発行ということになるようだが、しかし、政治家や官僚や大企業経営者などに対する ‘怒り’ の発揮を忘れている思考停止状態の日本国民への、これ以上の日本劣化を危惧するための警鐘として意味合い (意気込み!) を読み取ることは出来る。
 例えば、ハリコの写真に見る表紙の左側に縦書きされている 『いま問われているのは、私たちの「知性」、そして「感性」―』 というキャプションに、私は惹かれた。

 でもこれを購入した一番の理由は、学生時代から会社員生活の初めの何年間かは読み続けた‘懐かしさ’である。あらゆる事象に先ずは批判的な眼を向けながら対処していこうと、学生時代から意識しながら今のこの歳までやってきたと思っているが、そういう私の‘来し方’は、昨今廃刊が続いたこの種の雑誌からも結構大きな Weight で影響を与えられているようである。

 そういうことを思いながら先ほどこの「朝日ジャーナル」表紙を写真に撮っていたら、鼎談 『〝青かった〟私たちの背中を押してくれた「朝日ジャーナル」』 という記事があったのを思い出した。私も同様に〝青かった〟のだナァ・・・・・、そして今や黄昏色か!

《‘朝日’のこの意気込み、以降も続くのか?》


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・初夏の小さな花壇にて

2009年05月22日 18:06

 道端の他人様の花壇にしゃがみ込んで、咲き乱れる小さな花々を何枚か撮らせて頂いた。
「人の家をのぞき込んだりする不審な人を見かけたら、すぐに警察に連絡を!」 等という看板や張り紙がやたら目に付くこの頃だから、花壇の持ち主らしき家に声をかけようかと思ったが、人も車もどんどんと行き交う道の端にある花壇だものだから、他人様の ‘プライバシー’ をのぞき込むことにはならないと判断。車道からはいささか距離があるのがラッキーで、人通りだけに気をつけながら、じっくりと腰を据えた。

 数分間そこにいたが、幸いなことに誰何されることはなかった。

《3点並べたが、花の名前は知らない。》






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・写真を撮るのは胃の腑

2009年05月18日 11:13

 4月末から、朝日新聞・夕刊「文化」というコラムに森山大道の「私の収穫」と題した短いエッセイが4回掲載された。第2回分をスクラップし損なったが、WEB(「コイケランド」)で調べてみたらそれは「プリント」がテーマだった。どうやら、森山の写真作成における‘プリントの位置付’けが語られているらしい。
 その他の3回のテーマは、第1回「野良犬」、第3回「偶然という産物」、最終回「身体髪膚」。3回目までの各編の要点は、タイトルから推察して予想もしなかった森山の含意が盛り込まれていたというようなことはなかったと思う。
 しかし最終回の「身体髪膚」には、はてなマークがついた。‘身体髪膚’が‘感覚・思考方法’(下記引用では、‘身体性の意味を超えたしぶとさ’ の部分!)を生み出す源であるというやや遠回りの比喩になっているがいささか悩ましいが、この文脈で語られる次の表現は、その的確さにおいて私に強い説得力を持っている。

以下引用。
**************************************************************
 03年、パリのカルティエ現代美術財団でぼくの個展が開催されたおり、お定まりのプレスインタビューを受けた。多くの記者の内のひとり、とある新聞の美術担当の女性が、「あなたの写真は頭で写しているのか心で写しているのか?」と問い掛けてきた。ぼくは間を置かず〝テイクン・バイ・スタマック″と自身の日頃のモットーをロにしていた。その答えは、どうやら彼女のツボにはまったようで嬉しそう笑い、翌日の紙面には、その
フレーズが見出しとなっていて、ぼくも我が意を得た。
〝 写真は胃の腑で撮る!″のタームは、変わらぬぼくの写真的自覚といっていい。むろん頭も心も重要であることは言うをまたないが、単に身体性の意味を超えたしぶとさが、歩き写しつづけるぼくの原動力だと思うからだ。
**************************************************************
引用終わり

 下の2点は、KODAK P850を草叢に突っ込んで、シャッタを押したもの。もっと未知のものがあると思ったが、そうでもなく、ほぼ思ったような光景だった。でも、私の‘胃の腑’に落ちた。





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・薫風の棚田で 

2009年05月14日 16:59

 10日程前、千葉・大山千枚田を訪ねた。丁度その頃が棚田オーナーの田植え時期で、その作業風景もカメラに収めたいと思っていたし、昨年は水が張られたばかりのここの風景を撮り損なっていたから。
 でも作業日と思ったのが記憶違いだったのか、残念なことに田植えは行われていなかった。心地よい5月の風と、何百枚もの棚田が日射しを受けてキラキラと輝きながら階段状に落ちていく景色は、もう何十回も見て撮っているのだが、飽きることがない。
 だが訪れたときは、棚田の際の道路から田圃に入る畦道には、「立ち入り禁止」を示すロープが張られていた。

 行動範囲は狭められ、田圃に近づいて光る水面や畦の小さな草花や風にそよぐ植えられたばかりの苗の並び等にレンズを向けることが出来ない。いつもの訪問時には大量の写真を撮ってきたこうした光景を、今年は撮ることが出来ない。例年「立ち入り禁止」とする時期があったのだろうか。それとも今年からなのだろうか。

 ここを見物に訪れる人は非常に多く、畦が踏み荒らされることを嘆く生産者の声もよくお聞きしていた。畦には大豆やヒガンバナが植えられているところがあり、また毎年、必要な箇所には水漏れを防ぐ「畦塗り」作業を施すなど、ここは農家の方には大切な生産現場である。そうした場所が見物や写真撮りの人たちに荒らされるのは忍びがたいことだろう。 ‘畦を荒らさないように!’ という要望や棚田愛好家達の呼びかけは看板などで表示されているのだが。だから、その防止策(自衛手段)がこのロープなんだろうか。

 私は、いつもそういうことを考えながら畦道に入っている積もり。当たり前のこととして大豆やヒガンバナらしき植物を見かけると一生懸命に避けて通る。跳んだり跳ねたりはもってのほかと認識している。

 やはりこの日も、ロープの内側に入って写真をとる人たちが沢山いた。何のためのロープか、この人達は考えているのだろうか。

 ‘国民ノMORALハ、トテモ ヒクイデス!’ 
またも牽強付会だが、私流のブツブツで言えば、このロープもこれを象徴していることになる。

《大山千枚田の最上段からの風景。久しぶりに撮った。》


《この二つのボッチは、猫も杓子も・・・・・という格好の点景。》


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・憂さ晴らしに散りゆく花を撮る

2009年05月10日 10:43

 前回にも書いたが、気の進まない仕事を抱え込んでいるこの頃。夜布団に入っても、アレヤコレヤの関連事項が頭の中で乱舞して静まることがない。お陰で最近は毎晩夜中に起きだし、入眠剤を飲む。

 昨日は、朝9時に関係ファイルに取りかかろうとしたが、パソコンの前にいるのが途端に苦痛になった。妻に声をかけ、もう殆ど散っていると分かっている晩春の残り花を撮りに出かけた。

 前回ブログでは、健気にも 「‘(結果はともかくも) 気が進まないから ウッチャッテ オク!’ ことが出来ないから。」 などと書いた。実際に仕事を放り投げる積もりはなく、如何にツツガナクやっていくかに悩んでいるのだから、その過程で相当頻繁に‘ウッチャッテ オク!’ことをしないと、やがて完全なる入眠剤常用者になってしまい、錠剤の量も増えていくだろう。そうなるのはあまり好ましい話ではない。
 だから昨日は ‘ウッチャッテ オク!’ ことにして、散り去っていく花を撮りに行った。

 でもやはり、夜中の入眠剤は省略できなかった。

《銚子市・妙福寺の大藤棚「臥龍の藤」に数本下がる生き残りのうちの一枝》


《芝山町・観音教寺(芝山不動尊)・三重塔(千葉県指定有形文化財)背面のツツジ》 


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・ちょいズレ!で‘サクラ’をアップ 

2009年05月06日 17:44

 風景をメインの被写体としている私のホームページ(HP)の写真。でも撮った写真の季節感が消えないうちにHPにアップした験しがとても少ないような気がする。そういうタイミングのズレやアップする写真の質・量に関するの厳密な考慮の欠如は私の反省すべき点だが、今年のサクラについていえば、‘ちょいズレ’ にも相応の理由があると思っている。

 今私の頭の中は、4月に入ってから始まった町内自治会の気が進まない仕事に対する悩みや嫌気で満杯に膨れあがっている。膨れあがったのは、‘(結果はともかくも) 気が進まないから ウッチャッテ オク!’ ことが出来ないから。

 そんな訳で好き勝手なことに心身両面を使うことがチョットばかり制約されているこの春だが、それでも、4月2日に近辺の四ヶ所のお寺で枝垂れ桜を撮るという桜漬けになって後、一ヶ月かけてアップに向けた作業を続けてきた。一気に作業を進めると3,4日の作業量で、特に一貫した色調の確保という点では短い時間で仕上げるのが望ましいが、この春はチョコチョコとしか進まなかった。

 画像の最終仕上げを十分に満足しない状態で打ち切ったのでかなり心残りがあるが、連休の内にアップしておけば、東北や北海道など北の方でサクラを楽しまれた方々の記憶触発の材料になるかもしれないなどと、奇妙な意義を附会して、昨日5日に「千葉の桜 2009」(22点)をアップした。

 でもこのズレ、次はもっとひどいことになりそう! 今考えているテーマは、数百枚のRAWに今から手を付けようとしている ‘昨年・今年のシーズンの白鳥’ だから。

 今日はWalkingの時間帯は雨。だから忙中閑となり、明日がブログ更新日だが、一日前倒しができた。

《‘花鳥風月’風に! 
午後4時頃の青空・月・桜:枝垂れ桜の天辺。》


《びっくりするもの発見! 上の写真の一番上の枝にご注目あれ。
左右の2本の裸の小枝は、針金かけをされて整枝を施されている最中。
こうして樹形が管理されている。》


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・ついに起こした車の事故(2) 

2009年05月03日 11:40

(前回ブログの続き)
 ところで、ぶつかった箇所が面白い。・・・・・・とても不自然なのである。私のパジェロ イオの後ろ右側 (後ろからみて) にはカバー (ケース) のついたスペア・タイアを背負っているが、そのカバーの右端下部分が凹んでいる。そして、相手の小形(5ナンバー) の乗用車は、右側 (前から見て) ランプ部分がぶつかった場所。
 これには警官も首をひねっていたが、「二台の停車位置がかなりずれていますね。」で、それ以上の話にはならない。これに関する警官コメントは 「ぶつかった高さが揃っていますね。」 だけ。

でも私にとってはかなり気になる話である。バック開始に当たって、首を左後ろに回して後ろの窓から後続車の有無を確認したのだが、その状態では後続車は見えなかった。
  ぶつかった位置が見事にずれているのは、相手の車体半分位は中央車線から反対車線に出ていたといえそう。バック開始から2秒ほどで後ろの軽自動車がこんな位置関係になるように動けるはずがないから。相手の停車の仕方は、相当にオカシイのである。
・・・・・・だから、どうして右のサイドミラーをみなかったの!ということ。

 また、クラクションを鳴らす暇がなかったとその車の人も言っているから、車間30~40cmというニア・ミスだろう。私は常時左足でブレーキを踏むという運転スタイル。アクセル/ブレーキの踏み替えの時間をなくす最も合理的な方法である。しかも、バックや切り返しや角を曲がる際や人通りの多い街中などでは、常に左足はブレーキの前にセットしているから、クラクションが鳴れば右足の踏み替えなしに瞬時!に停止することが出来る。だから2秒くらいでゴツン!は異常接近である。

でも、なんやかや言っても、勿論私のミスによる衝突! 

 いろいろと抗弁もしたかったが、全くコメント差し挟まず。相手の運転手さんは敬服してしまうほどの物腰柔らかな方で、このことも私の一切の抗弁を沈黙させた理由である。

 ところで後日、事故を届け出た所管警察署に、事故現場の‘左折禁止標識’のことを確認した。
私:「あの場所は本当に左折禁止か。道の作りからして左折禁止はあり得ないと思う。何十年も信号手前から
  の左折ラインを通る経験をしているが、私の記憶ではどの場所も左折ラインの先の信号地点からも左折出
  来る道ばかりである。」
警察:「左折ラインを作っているから、信号では左折禁止だ。あそこはそういうことになっている。」

 全く納得の行かない説明。でも私は引き下がった。これから左折ラインと信号の関係は、私の運転時の最大の興味となりそうである。その結果、他への注意が散漫になり、又事故を起こすかな?

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《小石の居場所。靴のつま先は私のもの。》


《自販機の居場所。もう働いていないようだが。》


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