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・私の場合の 「3.11とその6か月後」

2011年09月23日 09:31

 〝3.11半年後〟 の9月11日は一つの節目とでもいうのだろうか,その前後の何日間かは,否応なく悲惨な出来事を思い出させる大量のメディア報道漬けになった。 〝被害とは無関係の私にとっても,あの出来事は自分の思考の向う方向にいくばくかの変化を与えたのではなかろうか〟 と思いながら,いろいろ色々のメディアの情報に接したものだった。

 3月11日,私は千葉県では恐らく一番大きな被害を受けた旭市飯岡に,海を眺めに行っていた。刑部岬の飯岡灯台の高みから眼下の飯岡漁港を眺め,彼方の沖合の海岸線が丸く見える太平洋を見渡し,ここに2件あるレストランの一つ 「海辺里 (つべり) 」 で昼食をとり,海や港の写真を沢山撮った。

 その後少し車を進めて,銚子市の犬吠埼に向った。やはり海の景色を見るためである。そこに向う銚子市内の路上で,あの震度5弱の大地震(14時46分)に遭遇した。本震・余震を合わせて車を3回止め,3回目は車から飛び出し路上に伏せたのだった。

 この時は,円福寺 (飯沼観音とも称される) の近くにいたのだが,この寺の朱塗りの五重塔上部飾りの最上部部分が地面に落ちていた。塔の高さ約60メートルと言われているが,塔の最上部部分はかなりのすり傷や塗りの禿げなどの損傷も見せながらも原型は全く壊れず,ゴロリと地面に転がっていた。

 昼食前後の時刻に眺めていた飯岡漁港は,大地震発生後約2時間半後の17時22分頃に津波の第一波に襲われた。ここでの津波の高さは7メートルを超えていた可能性がある,と言われている。
 この津波到来の時刻には,私は国道126号を千葉市に向かって南下していた。広範囲にわたる停電のために交通信号機は機能せず,交差点に来れば必ず混乱に巻き込まれ,街灯も家々の明かりもついていないという国道や脇道の状態である。いつもなら2時間強で帰宅するのだが,この日はたっぷりと5時間かかった。帰宅寸前に停電は回復したが,暗闇続きの長距離運転はかなり危険だということを,初めて知った。

 帰宅後,2階の状況チェックを急いだ。私の部屋は写真の通りの状態だったが,箪笥の上や本棚からモノが落下したというだけで,その他の被害は全くない。疲れ果てた半日のお蔭で食事もとらず,片づけも一切せず布団を敷く場所だけを作り,ストンと眠りに入った。

 半年後の6月11日と言いたいが,一日ずれた6月12日,上記のような思い出を抱えて,あの時と同じ飯岡,銚子を訪れた。震災前とは違った道中の景色が見られるのか,以前と変わりない風景があるのか,これを確認したいと思ったのである。

 どこに行くにしても観光客的なボンヤリとした視点か,あるいは逆に写真の目で視線を集中させてその場所を楽しむのが,私の常である。その結果として,写真を撮るピン・ポイント的な場所やモノにしかはっきりした記憶が残らない。こういう習性を身に着けたようだから,以前と変わらない景色だけを選択的に眺めながら,道中を車で走ったようだ。だから例えば,太平洋の海岸際を走る県道30号沿いの集落も被害が残っているようには見えなかったし,今回も昼食をとった「海辺里 (つべり)」の近辺から見る飯岡漁港を中心とした風景にも, 3.11時点と変わったものを見ることがなかった。

 上記した 3.11 のあの時,〝 路上に伏せた 〟場所は,円福寺近くの大判焼き屋さんの前であるが,12日はそこの大判焼きを頬張りながら,店の女主人の話を聞いた。〝 この辺りも飯岡一体の集落も相当の被害に受けたが,この半年でもう以前と殆ど同じ状態に復旧したんだよ。みんなの力は凄いよ!〟 とのこと。円福寺の五重塔先端も,写真の通りとんがった姿を見せていた。

  〔参考〕千葉県旭市ホームページ・関連記事

≪飯岡漁港:写真・上は3.11,写真・下は半年後≫




≪写真・上:3.11の円福寺五重塔,写真・中は,地面に転がっている上部飾りの最上部部分。
写真・下は半年後の五重塔≫






≪3.11 夜の私の部屋の状態≫


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