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・「畠山直哉展 Natural Stories」を観る

2011年11月24日 10:10

 東京都写真美術館で開催中の 「畠山直哉展 Natural Stories」 を観に行った。
畠山直哉の写真は,岩石採掘場の爆破の瞬間の写真を何かで見た記憶があるだけだが,昨年の9月に,彼の著作 「話す写真 見えないものに向かって」 (2010年7月第1版第1刷。以下,同書という。) を手に入れて,写真に関する彼の考え方に共感を覚えていたところであった。

 同書には 「写真とは」 という畠山直哉の定義づけは見当たらなかったと思うが,彼の言う写真とは, 〝説明的にではなく,あるがままに目の前のものに向かい合ってカメラに収めたもので,その写真を後で眺める撮った本人・見る立場の人ごとにそこに写っているものがそれぞれの意味を持ってくるものだ〟 ということのようだ。言い換えれば,写真とは,撮る人本人も気がつかなかったことを表出させる手段であるし,ましてや他人はどういう世界を写真に中に見るか,撮った人には一切関与できない情報 (あるいは世界) 媒体手段である。 ・・・・・このようなことを言っているようだ。

 同書67~68ページ辺りに,彼の写真観形成の基礎になったと言える筑波大・大辻清司 (おおつじきよじ) 教授との関わり合いが記述されているが,大辻清司教授の教えのキーワードは 「説明的な要素をできるだけ省いてみたらどうですか?」 である,との趣旨の記述がある。これが,彼の写真観の根源だろう。

 展示会タイトルが 「Natural Stories」 というものの,穏やかな自然風景が写真が多いというのではなく,荒々しい岩石採掘場と爆破の瞬間の連続写真,荒廃した炭鉱,ボタ山の威容 (異様!?),吹き出す蒸気に包ま込まれた家・林,雪山風景,などが,ポンと無造作に私の目の前の投げ出されたかのように展示されている。私は眺めながら,何が写っているのだろう,何を表現したいのだろう等という頭の体操を省略して,写真に共通した 〝スッ!と撮った〟 という雰囲気や写真の持つ 〝静けさ〟 を味わいながら,疲れを感じない鑑賞時間を持つことが出来た。

 会場の一角には,3.11の津波被害を受けた畠山直哉の故郷・陸前高田を撮った60枚の写真も展示されている。大惨事がこれほど静謐感を持って表出されていることに,畏敬の念を覚えた。

 帰途に回り道をして,湯島・本郷辺りの下町風景を撮りに行った。だが,下調べをほとんどしないまま出かけたものだから,思い描いた風情にはほとんど行き当らず,うろつき回るばかりの無駄骨だった。

≪会場受付においてあるが,希望しないと呉れない展示会案内パンフ。上・表,下・裏≫





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