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・Torinoの悲喜劇

2006年02月23日 00:55

 第13日を終わって,まだメダルがない。日本選手団長は,「メダルの目標は,色は問わず5個。2,3個上積みがあるかもしれない」との見通しを示している。一方,米国の専門誌「スポーツ・イラストレーテッド」は,「フィギュアスケート女子の荒川とスピードスケート男子500メートルの加藤の銅2個」,AP通信はさらに厳しく,荒川の銅1個だけとしている。

 日本選手の活躍を願うのは日本人としては当然だが,世界の中での実力を見誤った評価による期待は,国民にも選手たちにも,悲劇をもたらす。こういう状況を作り上げたのは,言うまでもなくメディア。メディアによって,メダル候補・好成績候補に仕上げられた選手たちは,それを信じ込んだ国民に前で‘期待に応えられず申し訳ない’と言い,国民は‘よく頑張ったのに可哀そう!’と悲劇の人を作り上げる。
 すべて,メディアの作り上げたオリンピック劇である。この劇全体は,悲劇ではなく喜劇である。

 もっとも選手たちの多くは,必ずしも自分を悲劇の主人公として意識してはいないようだ。テレビのインタビューでも新聞紙上でも,期待に応えられなかった殆ど選手たちに悲壮感はなく,「ここまでが私の力」「メダルか転倒かの一か八かでやったので悔いはない」「オリンピックを楽しんだ」などと,「期待されていたこと」に応える内容が乏しい発言をする。恐らく多くの選手は,自分の状況を正しく把握しているではなかろうか。そしてこれが,好成績を得られなくとも然程の悲壮感が生まれない理由ではなかろうか。
 勿論,好成績をあげても力を出し切ることが出来なかったと悔しがる選手の姿もある。このこういう人たちの無念さは,私たちの心に響いてきている。

 既に,今回のオリンピックは惨敗との評価もでているが,この一連の出来事(期待から惨敗までの評価プロセス)は,メディアが果たしたマッチ・ポンプ的役割の産物以外の何者でもない。メディアの本質である扇動を如実に示すオリンピック劇である。

 そうは言っても,スポーツ観戦大好きの私は,連日テレビの放映を楽しんでいる。解説者は「いいですよ」「素晴らしいですね」と日本選手を褒め上げ,成績が出ると「踏み切りが悪いですね」等と結果論で前言を修正して行くのが常であるから,こういう解説は殆ど無視して観戦を続けている。

 だた,画面の中で絶対に見たくないものがある。それは,失敗や敗れた後の照れ笑い。どんな失敗の場面でもヘラヘラと笑い,‘爽やかな笑顔’との人気を得ている人もいるが,悔しかったら,笑いは出ない筈である。‘敗れて爽やか’は高校野球の段階までにして欲しい。クーベルタン男爵の言葉は,今や全く意味を持っていないオリンピックなのだから。

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《暗雲,或いは光明》


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