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・川内倫子展(都写真美術館)を観る

2012年06月10日 15:11

 何せ評判がいい展示会だから,久しぶりに都写美に行ってみようという気になり,8日に出かけた。
壁も通路も白っぽい色に統一された展示場に,6×6,4×5といった大型カメラによる大量の作品も含めた80点程度の作品が展示されていた。

 川内倫子の作品評価を色々と読んでみようとWEBを検索すると,都写真美術館のホームページ「川内倫子展 照度 あめつち 影を見る」 (会期:7月16日まで) に記載された文章 「川内倫子は、私的な日常光景を切り取り、つなぎあわせ、普遍的な生命の輝きへと昇華させる表現によって同時代の高い評価を獲得してきた。」 という記述が引用されている場合が多い。

 この都写美の評価をネタして,私の感じたことをいつものように記録しておこうと思い,書きたい要点を考えているうちに気がついたのだが,それは,この展示会に関しては,私は世の中の作品内容の読み取り方,作品の質の高さの評価と違った印象を持っていること。それは,私の鑑賞力の弱さの故だろうが,これも私には残しておきたい写真展鑑賞記である。(注:この文節では,アップ当初のものから若干の用語変更を行っている。6月11日記)


 誰それの日常光景とは本質的に 〝私的〟 でしかありえず,彼女の作品の特徴を示した評価になりえないが,次の 〝つなぎあわせ、普遍的な生命の輝きへと昇華させる表現〟 という部分が彼女の写真が高評価されている部分ということになろう。
だがこの評価,何とも腑に落ちない。私の〝独断偏見〟的なの見方は,以下のようなもの。

 先ず,〝つなぎ合わせ〟 という意味不明の言葉で何を言わんとしているのか理解できないし,それが分からないから,続く部分の作品の被写体としての 〝日常光景〟 を 〝普遍的な生命の輝きへ昇華させる〟 が,また理解できない。

 私が感じたのは,〝彼女はどうしてこうも突き詰めて,キリキリと緊張して,気持ちを張りつめて,被写体に向き合っているだろう!〟 ということである。ズラリと並んだ彼女の写真に 〝普遍的な生命の輝き〟 という 〝安らぎにもつながる人間感情〟 の内包が感じられないのだ。
 写真(或いは絵画)をどう見るかは見る人の勝手だと世上言われているから,私の感じたことを書いてみたのだが,これでは,お前は写真音痴だ! ということになるのだろうな?!

 もう一つ,ひっかかること。それは,すべての写真が「無題」とされていること。つまり,勝手に,好きなように見ろ! と言う作者の主張であるが,しかし全点がキャプション無しとなると,作者の意図を感じ取る自由度が大きすぎて,途方に暮れるのだ。
 写真家の撮った意図が見る者によってどのように解釈されてもよいというのは,作者の自己放棄と言う側面もあるのだが,作者は意識してそうしたか。
 それとも,川内倫子は一切の精神の働きを意識して封印して,見境もなく或いは目をつぶったままシャッターを切ったのだということなのか。全作品が「無題」と書かれた80点のリストを眺めると,ついこういう不満・疑問を述べたくなるのだ。

≪入場券  上:表,下:裏(半券を切り取る代わりに,受付ハンコが押された。
切り取り線がないから,半券というのがないのかなア)≫




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