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・劣化日本は虚業ばかり

2009年03月10日 18:19

 今日の ‘犬の遠吠え’の吠え先に挙げたいのは、‘××評論家、××にお詳しい方、○○のご専門家、△△大学教授、・・・・’ などという、いわゆる‘諸先生方’。 どういうことかと言えば、現今の政治・経済の惨状について実効性のない或いは政策提言としての力がないこの種族の発言に辟易するのを避けることが出来ないから、少し鳴いてみようというわけ。

 テレビの場合はチャラチャラと或いはもっともらしく厳かな態度で、新聞・雑誌などでは格調高くあるいは付け焼き刃的に、いろいろの意見表明がおこなわれるのだが、いつの時代にあっても、こうした ‘諸先生方’ が困難な状態からの脱却策提案や将来を見据えたビジョン提言・実現に与って役割を果たしたことがどれだけあるのだろうか。

 この類いの空虚な言動・文章に触れると、嘆きを通り越した怒りを覚えてくる。私は、アチコチのテレビに出ずっぱりのタレント(芸能人だけではなく、何人もの政治屋も含む)を ‘テレビ寄生虫’ と命名しているが、これらの ‘諸先生方’ は、‘メディア寄生虫’ でしかない。

 吉本隆明の 『吉本隆明のメディアを疑え  あふれる報道から 「真実」 を読み取る法 』 (新書版 青春出版社) を昨日読み終えた。その中で吉本は、文章或いは ‘書くこと’ について、以下のように言っている。

(以下引用)
 『文筆をもてあそぶことを職業としていることは、虚業でずうずうしく生活しているようなものだ。そのため、だれもが体験するように、書きにくくて仕方がない状況と、書いて発言しやすい状況とがあることが分かる。わたしにとって太平洋戦争の敗戦のときがそうだった。尊敬する文学者たちが何か発言してくれないかなあ、そうすれば生きてゆく方法が示唆されるに違いないとおもった。けれど、一生懸命に追いかけてきた優れた文学者ほど沈黙していた。それは読者としてよく分かるようにおもえたが、それでも何か言って欲しかった。
 経済学者や企業エコノミストたちは、現在、いちばん出番のときで、いま発言して何らかの示唆を一般国民に与えられなかったら、出番のときなど生涯ないとおもう。著作家もじぶんの著作によって死ぬこともあるとはマルクスの言葉だが、そのことがおなかのなかになければ、虚業によって生活の資をとるのはずうずうしいことだと自戒している。
 こういうと格好がよすぎて、わたしの柄ではないのだが。エコノミストたちは決して死なないはずだから、いまこそほんとうのことを言ってわたしたち一般国民を啓蒙してくれるべきだとおもう。』
(引用終わり)

 吉本が言う ‘書く、発言する’ は、『 いま発言して何らかの示唆を一般国民に与えられなかったら、出番のときなど生涯ない 』 という強さを持っている。書いたり発言したりしたものは、メディアによって露出されるだけではなく、それが世の中に語り継がれ、仕事をしない政治屋・官僚や企業経営者に影響を及ぼしていくというベクトルを含んでいなければならない。 私は吉本をそう読んだ。書くことを業としている者がただ書くだけなら、その行為は依然として虚業のままであるはずだから。自分の文章が、自分の喋る言葉が虚業に終わらないよう、諸先生方は心すべきである。

 付け加えれば、金力・権力に生き甲斐を見いだす政治屋(代議士)・官僚も、従業員人件費削減を最重要経営課題としている企業幹部も、本来の仕事を認識していないという意味では、虚業に生きているといえよう。

 上記の吉本隆明の本は、掲載文が何時書かれたかを明記しない安手の新書版共通の作りだが、筆者自身の「あとがき」の日付は「二〇〇二年二月二十三日」とあるから、バブル経済崩壊後の不況期の後半あたりから2001年位までに書かれたものだろう。だから当時とは諸般の状況が違うが、勿論この際問題ではなかろう。

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《ちゃんと置き場所を管理されている廃車:
上は多分一度はこのブログに登場した写真で、車の残骸は何年もの間同じ位置にあった。
下は、一昨日の状態。こんな風に居場所に気を遣ってくれる持ち主のものとは、
考えもしなかった。》





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