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・ジュリアードのバルトーク弦楽四重奏曲第3番

2007年06月22日 01:24

 ジュリアード弦楽四重奏団の演奏会(6月10日)を聞いて,もう10日以上が経つ。印象がいくらかでも強く残っている内に,それを書き止めて置くべきだったが,今となっては,演奏会後暫くは言葉として定着させたと思っていた印象も,確かとは思い出せない。

 バルトークの弦楽四重奏曲のCD・レコード・カセットテープを持っていない私は,この日に備えて,ケラー四重奏団のCD2枚セット(全6曲)を3月初めに購入した。それ以来,曲の流れをいくらかでも知っておきたいという気持ちから,車で出かける殆んどの場合,その2枚を持ち出して流し聞きをしたり,たまに,パソコンのチャチなスピーカーでも聞いていた。
 だが,曲中のシェーンベルクの12音技法やドビュッシーの印象主義的技法も理解できるはずはなく,単一楽章のこの曲の難解な構成もおぼろげにしか理解できないまま,当日を迎えた。

 3番のPPで始まる冒頭は,非常に静かな和音の上にヴァイオリンがなんとも不安に満ちた旋律を奏でる。CDで聞いている限りでは,四つの弦楽器の絡みなど殆んど判別できず,いつも冒頭部分を大音量にしていたのだが,ジュリアードの各奏者は,まるで自分が主役であるかのごとく音を響かせたのである。勿論,バランスを壊す大きな音というのではない。各奏者が自己主張した上で,和音の静けさが明瞭に醸し出される。この4人のこうした自己主張の上に成立したアンサンブルの確かさは,曲全体を通して感じられた。また,フォルテなどの強音時の音の厚さ・響きの豊かさにも,驚嘆すべきものがあり,4本の弦楽器の音とは思えないヴォリュームであった。
 バルトークの曲の構成力・緊張感の強さを見事に表現した3番の演奏であったと思っている。

 それでもやや不満を感じたところがある。それは当日のモーツアルト(「不協和音」),シューベルト(「死と乙女」)の2曲の印象にもつながるのだが,時に,情緒的にすぎると感じる部分があったこと。たとえば,緊迫した楽想とそれに続く緩やかな静かなフレーズとの間に見える感情の落差の大きさのようなものが,それである。だがこれは,聞く側の期待との‘ずれ’の所為かもしれない。この団体の演奏は古いレコードやCDでしか知らないのだが,それらから得ている印象から,3曲とも,特にバルトークは鋭角的な演奏に始終すると想像していたのだから,情緒的という解釈は,こういう私の勝手な思い込みかもしれない。
 しかし,この曲の15?16分間の演奏の間は,相当の緊張感に中にいた。こういう‘てだれ’の四重奏団にかかると,バルトーク初心者の私は,気の緩み・やすらぎの類いの感覚を見つけることができず,打ちのめされっ放しとなるのである。

 車軸を流さんばかりの俄か雨の中を車で出かけのだが,帰りは快晴の夕方の空であった。

《手作り感一杯のプログラム。薄い灰緑色のやや厚手のA3版表裏・黒文字一色の二つ折で,勿論写真なし。 こんな素朴なプログラムも珍しい。 同じホールでの昨年12月のバッハ・コレギウム・ジャパンのプログラムも殆んど同じ装丁(色は黄土色)であった。 プログラムなどに金を掛けない分かどうかは分からないが,入場料がとても安い。》



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