カテゴリーを‘出来事’としたが,精神的なショックが大きい話だから,‘雑感(でもあまり適当ではないが)’かなとも思っている。
私にはご託宣にも聞こえた「手術後5年間は,定期的に検査・診断をします。」との主治医の言葉を貰ってから3年2ヶ月19日目に,「今日で,来院して貰うのは終わりにします。もう,いいでしょう。あなたのは元々軽かったし,今日の結果も全く問題ないし・・・・・・。」ということになった。去る19日のこと。
「エッ!」と絶句したが,キチンと聞き取っていたので,聞き返しはしなかった。‘がんにかかった心細さ’など私はとうに払拭したと思っていたが,そうではなかったのだ。そのとき受けたショックは,相当な大きさだった。言ってみれば,契約期限前に放り出されたのだから。
「もういいんですか。」とつぶやいただけ。ケアを受けるべき残りの1年10ヶ月弱(665日間位)は,
・猶予されたというべきか,
・奪略されたというべきか。
・オマケしてもらったというべきか,
・反故にされたというべきかきか,
・無視されたというべきか,
・むしりとられたというべきか
・捨てられたというべきか,
こんな感じはもう止めどなく湧き起ってくるのだが,とに角,‘安心の665日’が私の眼前から忽然と消えたのである。
毎年ポリープをとってもらっている大腸の内視鏡検査は,ここで続けてやって欲しいと頼んだが,「胃や大腸の内視鏡検査や肺のCT検査などもやらなくていいです。やりたいなら,この病院ではなくアチコチの病院でやっている人間ドックのような制度を使ってやってください。」と非常に明快な回答を得た。明快な分だけ,私の気持ちは反比例して沈んでしまうのであるが,昨日今日医者になったばかりの方ではないから,患者の気持ちの揺れ動き方など,百もご承知の上での言い渡しである。「長いことお世話になりました。先生もお元気でご活躍下さい。」とお礼を述べて引き下がるのみ。消滅したこの1年10ヶ月の持つ重さを,どういう具合に私の胃の腑に落とし込めばいいのだろうか。
懐古気分に浸ることの多い近頃だから,がん手術当時の病室などの写真をもう一度眺めておこうという想いが出てきた。ストックを探したら,数枚が残っていた。下の二枚は,一回目の入院時のもの。手術が上手くいかず,2週間くらい後に再入院して手術を受けた。
《窓に写る自画像》

《点滴。本も読み疲れて何もすることがなくなると,一定間隔で落ちる点滴の様子を眺める。
すると,次第に眠りにはいっていくことが多い。》

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